灰色の紳士とモモと大家さん

物語が好き

 

 

ん?ちょいとちがう

近いニュアンスでいうと

 

物語に招かれる人間でいたい

ミヒャエル・エンデ「モモ」

というのは

 

何層にも分かれ幾多もある本の世界で

ある時

ある一冊

その時間空間に招かれるときがある

 

 

そんなふしぎな

招かれた時間をお話したいと思います

 

 

 

ここ1週間ほど

 

マイ本棚にあるミヒャエル・エンデ作の「モモ」を

何十年かぶりに復読していました

 

 

 

埃をかぶった箱を拭いて

そっと本を出し

 

セピア色になっている頁をめくり

 

ツンとした湿り気の文字を追っていくと

 

行間に渦巻く「時間」の謎に

吸い込まれていきました

 

 

 

なぜ

いま「モモ」?

 

 

 

自分でも分からないまま

頁をめくる指先が水先案内人になり

毎夜毎夜、章を重ねていった

 

 

 

たぶん

 

矢部太郎さんの漫画「大家さんと僕」の

大家さんがお亡くなりになったと

ニュースで知った日から

 

 

心の奥の奥のずっと底の場所で

チク タク チク タク

秒針の音が響いているような

例えようのない物悲しさを

感じていて

 

 

人の一生の時間ってなんだろう

美しい生き方ってなんだろう

考えずにはいられなかった

 

 

 

まるで「モモ」の本にある言葉そのもの

 

 

「ねえ、おしえて。」と、

とうとうモモはききました

「時間て、いったいなんなの?」

 

モモをとりまく世界はやがて

「灰色の男たち」によって

時間貯蓄銀行に時間を盗まれていく

 

 

ほんとうの意味での「生きる時間」を奪われ

心の中はまずしく荒廃していく人々

 

 

ひとりひとりの人間に与えられる時間の

深く豊かな真実

その美しい夢幻さ

 

 

「灰色の男たち」は

ほんとうはいないはずの人間(人間でもない)

人間がその姿をゆるす条件を作り出していること

 

 

それに気付かない大人たちへ知らせようと

モモと子どもたちは集まります

 

ふたたび時間を取り戻すために

 

 

さては

モモが招かれた「時間のくに」

そこに咲く「時間の花」の秘密

 

 

招かれているのはモモだけではありません

読んでいる「私」もその一人です

 

 

 

私のまわり

私がいる現代

私の時間そのものにも

「灰色の男たち」はいなくなったのでしょうか

 

 

 

幼い頃に読んだときの「モモ」は

「灰色の男たち」がどこか漠然としていて

気味が悪いものだったけれど

 

 

いま読み返した「モモ」は

痛いほど突き刺さる

 

 

時間を司るマイスター・ホラはいいます

 

 

 「光を見るためには目があり、

音を聞くためには耳があるのとおなじに、

人間には時間を感じとるとめに心というものがある。

 

もしその心が時間を感じとらないようなときには、

その時間はないもおなじだ。」

 

 

 

気付くことが大切な一歩かもしれません

 

 

 

 

 

 

 

ここからちょっとヘンな話をします

(引いてしまった方はゴメンナサイ)

 

 

幼少時から

モモと同じくらい私は空想好きで

ふしぎなことにいろいろ遭遇してきたので

驚くことには慣れているのです

 

が!

  

 

このブログをパソコンで打ち込みしていると

勝手に true という単語が画面のあちこちに

勝手に点在してきます(冷や汗)

 

あちこち あちこち

文字を消してもまた出たり…

 

 

なんなんでしょう???

 

 

暗号???

マイクロソフト社の故障???

なんなんでしょう???

 

 

trueって真実という意味

 

 

もしかして

モモのことを書いていたから

「モモの時間のくに」のマイスター・ホラからの

メッセージ???

そんなわけない???

 

 

なんだかよく分かりません???が

いたい世の中は

ふしぎなことで成り立っていますからね

 

 

 

というのも

 

 

の「モモ」はエンデ自身が

そもそも創作したものではなく

 

 

エンデがある旅の汽車の車室で

乗り合わせたふしぎな相客から聞いた話を

そのまま記憶どおりにエンデが書いたもの

といわれているからです

(エンデ自身がそう記しています)

 

 

 

そのふしぎな旅人がエンデに

こう言って汽車を降りたそうです

 

 

わたしはいまの話を過去に起こったことのように

話しましたね。でもそれを将来起こることとして

お話してもよかったんですよ。わたしにとっては

どちらでもそう大きなちがいはありません。」

 

ふしぎな旅人の絵も「モモ」の挿絵も

エンデの筆によるもの

 

 

エンデは文学作家としてだけでなく

画家としても類まれな個性を持っていました

 

 

筆圧と筆致も独特でファンタジー

素敵!

 

 

 

 

きっと

「モモ」は現代にこそ必要な一冊

 

近しい人に今あらためて一度お伝えしたい

と心から今そう思います

 

 

 

 

 

さて

 

「灰色の紳士」に今さらながら気付いた私

 

 

 

今さらながら

ある小さな決めごとをしました

 

 

今さらながら

始めたばかりのツイッターを31日で

やめます(もうすでにつぶやいておりませんが)

 

 

亡くなられた大家さんの

美しい言葉掛けや所作

時間の愛で方

そして

「モモ」に招かれた1週間で決めたこと

 

 

 

フェイスブックもインスタグラムも

まったくしない私が

ひょっと始めてみたツイッター

 

 

もともとパブリックなところに

私事をあまり書けるタイプでなく

 

家族や友人を写真でパブリックにアップするなんて

はばかるタイプの古い人間で

 

 

 

ツイッターを始める前は

美しい空に会うと「きれいだねぇ」と

相方と言いながら眺めていた時間が

写真を撮ろう…とせかせかして

 

 

なんだか自分でもおかしいぞ

と思い始めていた頃でもありました

 

 

習慣ってヒタヒタ足で近づくんですね

オソロシや

 

 

 

楽しめる人が楽しむと楽しい

SNSはそういうものかもしれません

 

 

 

タイムラインの凄い流れを追うことも

私には時間軸が合わなかったようで

 

これからはホームページのブログで

引き続きポツポツと綴っていきます

 

 

 

こんな駄文を

見て下さった方々には感謝です

 

様々なつぶやきやクリエイティブな投稿

ユーモアあふれる投稿

同意!と言いたくなる投稿などなど

おおいに楽しませていただきました

 

 

 

またアナログ原人に戻って

「灰色の男たち」が発生する供給元に

自分がならないように

 

 

限りある時間の花が朽ちるまで

 

 

大家さんが伝えてくれた

いまの日本人が失いかけているもの

 

 

 

 

ご冥福を祈りながら

そんな 

「モモの時間のくに」に招かれた1週間のお話でした

 

 

 

 

さ、明日からは9月

 

のオワリは秋のハジマリ

 

 

季節はめぐり

いつかは誰もが消えていくけれど

 

  

どんな人にも胸の奥で輝く

忘れられない物語がある

 

 

それは誰かに続いていくのだろう