
ようやく‥やっと‥久しぶりの
明かりを灯すことができました
休業中はご不便とご迷惑を
おかけしまして この場を借りて
心よりお詫び申し上げます
休業のお知らせを知らずに
お店へ足を運んで下さった方も
大変申し訳ありません
そして 療養しているときには
お手紙やメールで温かい言葉や
お気遣いや励ましを頂きまして
本当にありがとうございました
再開した3連休を含む4日間も
やさしく声を掛けて下さったり
労りのお言葉をかけて頂いて
本当にありがとうございました
急に1か月ほど休業してしまい
再開しても来て下さるのかな‥
体と息が耐えられるのかな‥と
正直 不安でいっぱいでした
その不安ばかりに覆われた私は
皆さまからの温かい一言一句に
数え切れないほど救われました
本当にありがとうございます
「今日、開いてる?今から
行くから!」と電話を切り
1時間半かけて来てくれた
友人の顔を見たとき
もう会えないかもと一時は
覚悟した夜を思い出して
胸がいっぱいになりました
生死の境があるような入院は
初めてだったのでこうして
帰ってきて普通に過ぎていく
毎日を日々噛みしめています

コロナ禍真っ只中の3年間は
風邪ひとつ引かず過ごせたのに
慢心もあったのでしょうか
コロナ肺炎の重症化なんて
思いもよりませんでした
救急隊員の方々が深夜から
早朝にかけて粘り強く病院の
受け入れ先をあたって下さり
11番目にやっと見つかった
一度目の受け入れ先が以前住んだ
赤穂の病院ということにも驚き
そこで3日間の集中治療入院後
さらに高度医療が整った姫路の
病院への転院を尽力して頂いて
より集中治療を受けられました
私の命のために多くの
人の手や力や時間を費やして
助けて頂いて今があります
店主にもずいぶんと
心配以上の心配をかけました
病床で顔を見られたときは
言葉が出ず涙があふれました
今年で結婚25年目ですが
特別な記念日なんかよりも
一緒に健康で過ごせる毎日が
何よりの財産だと思いました
店主が私の妹に電話で
事の経緯を伝えたら 妹が
兄姉へ連絡に奔走してくれて
大阪・堺の兄や
岸和田の妹夫婦や甥と姪
愛媛・松山の姉が
面会謝絶なのに病院へ皆で
駆けつけて集まってくれました
「見たら元気が出るやろう」と
皆で撮った写真を届けてくれて
身動き取れないベッドの上で
大泣きしてしまいました
店主が写真立てにしてくれて
9月のカレンダーの切り抜きを
貼ってくれた思いが伝わって
絶対に生きて帰ろうと毎日
写真と曜日を眺めていました
兄は店主の体を心配してか
体に良さそうな食べ物を幾つか
紙袋に持ってきていて 店主に
渡してくれていたことを
退院してから知りました
思いや祈りは見えないけれど
底しれない力で支えてくれて
生かされたとしか思えません
紙一重で 写真一重で
今があることを忘れないように
御縁ある方々の日々の安寧と
ご健康を支えていけるように
これまでの在り方で見直す所や
これから軌道を変えていく所を
店主と話し合ったりしています
これからも 末長く 気長に
お付き合いを頂けることを願い
私たちは無理も背伸びもせず
一歩ずつ進めてまいります
わがままなお願いもあるかと
思いますが お許しください
伝えきれないほどの
感謝と御礼を込めて
皆さま
ありがとうございます
みんな ありがとう
